平成12年3月に入ってから、頻りと項(うなじ)が張り、吐き気がする程でした。
触れてみると右項が痛く、押していると吐き気がしてきます。ホッカイロを貼ったりマッサージをしたりしていますが、なかなか解消されません。元 の妻は、「オーバーなんだから・・・風邪よ!」の一声で終わり、さっさと寝てしまいます。
3/18(土)pm 9:00頃、KT37.5゜
3/19(日)pm 9:00頃、KT37.8゜
3/20(月)pm 9:00頃、KT38.0゜
3/21(火)am11:50頃、G医院にてKT38.0゜,ファーストシン点滴
pm 3:00頃、KT38.5゜、にぎり3個(セフゾン服用)
pm 6:30頃、KT37.6゜、着替え(汗びっしょり)後、おかゆ・梅・蒲鉾(セフゾン)
pm11:30頃、KT39.0゜、おかゆ(セフゾン)
pm12:00頃、KT38.2゜、汗が出はじめました。
3/22(水)am 0:40頃、KT37.4゜、着替え(汗びっしょり)後、水薬服用
am 6:15頃、KT38.9゜、水薬服用
am 7:08頃、KT39.1゜、おかゆ(セフゾン)、
am 9:30頃、排便時、軟便にも拘わらず痔出血です。(2+)紙にベットリ鮮血。
am 9:52頃、KT36.8゜,熱発に痔出血が関係しているのか?
pm 0:10頃、KT38.8゜,吐き気,悪寒,両第2指の末節が痺れ出した。おかゆ,リンゴ(セフゾン)
pm 1:20頃、KT38.7゜,今までの熱発と違う(今までは、昼間は平熱だった・・・)
pm 3:15頃、KT37.4゜,着替え(汗びっしょり)
pm 6:00頃、KT39.2゜,寒い・・・
pm 8:00頃、KT38.9゜,
pm 9:10頃、KT38.8゜,
pm10:00頃、KT38.6゜,
pm11:00頃、KT37.8゜,
3/23(木)am 6:30頃、KT38.1゜,
am 7:30頃、ヨーグルト,おかゆ,(セフゾン)
am 8:00頃、KT38.2゜,
am 9:30頃、38.1゜〜am10:15,KT38.3゜(吐き気),G医院にて
am11:15〜12:15(点滴:ファーストシン・パンスポリン)
pm 1:42頃、帰宅(昼食後ユナシン375を飲む)KT38.2゜,
pm 1:55頃、KT38.1゜,
pm 2:22頃、KT37.7゜,
pm 3:15頃、KT38.1゜,
pm 6:15頃、KT39.6゜,悪寒戦慄で目が覚める
pm 6:30頃、おかゆ(ユナシン)、着替え(汗びっしょり)
pm 8:00頃、KT38.2゜,
pm23:00頃、KT38.8゜,
3/24(金)am 1:25頃、水様便の後→KT38.6゜,
am 6:00頃、水様便の後→KT38.3゜,
am 7:00頃、KT37.6゜,
am 8:30頃、KT37.7゜
am 9:45頃、KT36.5゜,
pm 0:45頃、KT39.6゜,おかゆ(ユナシン)
pm 2:00頃、KT38.8゜、G医院にて
pm 2:30頃、点滴(ファーストシン・パンスポリン)
pm 5:00頃、G医院を出るも、眩暈、ふらつきがひどいため運転できず、
(診察を終え、立とうとした時ふらつきメガネを破損!)天地が回り、途中でしばし休憩、
pm 6:00頃、帰宅した。
pm 6:30頃、KT39.0゜,ポカリスエットを飲み睡眠。
pm 8:00頃、KT39.2゜,水様便
pm 9:10頃、夕食(ユナシン・ミノマイシン)
pm 9:55頃、KT39.5゜
3/25(土)am 2:35頃、KT39.7゜,強烈な熱感あり(ユナシン・ミノマイシン)
am 6:20頃、KT38.3゜,ヨーグルト・コーンスープ(ユナシン・ミノマイシン)
am 7:30頃、KT38.9゜
am 8:00頃、KT38.8゜
am 8:40頃、KT37.4℃,(37.7℃)
ミノマイシン点滴中は何故か震え出す・・・
(悪寒戦慄を伴うと訴えるも、看護婦の反応なし。)
am11:00頃、点滴の途中でKT37.7℃,
ミノマイシンに切り替わってまもなく、必ず震えが出る。
pm 1:00頃、KT38.8゜,おかゆ(ペングローブ+ミノマイシン)
pm 1:30頃、水様便,
pm 2:30頃、KT38.0゜,
pm 3:35頃〜2時間点滴(本日2回目),pm6:00帰宅。
pm 7:10頃、KT39.2゜,ニンジンスープ・シナチク(ペングローブ+ミノマイシン) 直後に震えあり。
pm 8:30頃、KT38.6゜
pm 9:30頃、KT37.0゜
pm11:50頃、KT38.8゜,カリン湯200ml
3/26(日)am 7:30頃、KT38.6゜,
am 9:10頃、KT38.1゜, (ペングローブ+ミノマイシン)着替え(汗びっしょり)
pm 0:10頃、KT39.3゜,(ペンク゜ローブ)
pm 1:45頃、KT39.1゜,直後に嘔吐(消防の放水の如く...眼球充血,頭痛激しい) ,今回の熱発はおかしい
「寝ていれば治る!」が口癖のG医院のS浦先生・・・
本当にただの風邪ですか〜レントゲンも撮らないで・・・ 明日から他で診てもらいます・・・
pm 5:00頃、KT38.8゜,
pm 6:30頃、KT38.9゜,着替え(汗びっしょり)
pm 8:30頃、KT39.1゜,(ベングローブ+ミノマイシン)
pm 9:30頃、KT37.5゜
pm10:30頃、KT39.4゜,悪寒戦慄で目覚める
3/27(月)am 7:00頃、KT38.7゜
am11:00頃、W病院内科:話を聞いただけの老医師いわく、
「大きいところで診てもらったほうがいいよ・・・」と、
一切の処置なし。I事務部長の顔、役にたったのかな?。
某中央病院で医長をしていたS尾先生は、評判もいいから行ってごらん!
と友人に紹介され3/28出向く。
3/28(火)S医院、X線撮影無し、採血、他点滴及び投薬を受ける
3/29(水)S医院、X線撮影無し、採血、後、(点滴他)
3/30(木)S医院、X線撮影無し、採血(点滴他)、の前後に「肝機能が悪いね〜・・・」と、28日の血液検査の結果を話してくださいました。
3/31(金)S医院、X線撮影無し、(点滴他)意識朦朧あまり記憶無し
4/ 1(土)S医院(紹介状を頂き、某中央病院の救急外来へ)記憶なし
既に私は、記憶無し・・・
『3/31(金)の夜、お父さんがコタツに入っている時に、オシッコを漏らしてね〜「していない、していない・・・」と頻りに布団で隠していたんだよ〜。夜中には突然起きたかと思えば戻ってこないし、下で一人で何事か呟いていたのを見た時は、ゾ〜っとしたよ・・・」と、後日息子に聞かされましたが、この日の事は全く記憶がありません...。
4/ 1(土)いつものようにS医院に点滴をしに行くもグッタリして車から降りれず、S先生に相談したところ「これを持って中央病院の救急に行ってください!」と言われるまま紹介状をもって中央病院の救急外来を受診し、そのまま緊急入院となった事などは只のプロローグにすぎませんでした。(記憶なし)

4/ 3(月)昨日より胸が持ち上がるほどの異常な呼吸をしているにも拘らず、何の処置もしなかった某中央病院の対応... 夜間深夜は看護婦による対光(瞳孔)反射の確認のみ... 3日目になって初めて回診(女医)があり、あろう事か「どうなさいました♪#?」と信じられない言葉を投げ掛けられた事、NsとDr.共に出来なかった採血...、そして右鼠経部からの血管確保に30分もかかっていた手際の悪さ...(N病院の救出用救急車が到着しても、処置は終わっていなかった程の技量)に、「このままでは殺される!」と、妻は胸が騒いだ!と言っていました。
(早く、早く来て〜...と、時間が物凄く長く感じられたそうです...救急車が出発してからも平然としている看護婦たち...資料を用意している様子も無いので「あのう、フイルムはまだですか?」と尋ねたところ、「えっ、持ってくの〜?」と...これまた信じられない言葉...「これしかない...あとは行方不明...」と、渡されたのは救急外来で撮影したレ線フイルムのみ...救急車より遅れること30分余り経っていたとか...(2000/04/29)意識の覚醒後に妻から聞かされた話です、看護日記にも書いてありました。後日(2002/08/11同窓会にて)判明した事ですが、その病棟の婦長は私の(中学時代の)同級生だったのですが、「私は休みだったから...」と、未だに遺憾の言葉もなしである。)
救出して戴きましたN病院(富士脳障害研究所附属病院、担当: 吉川医師)での検査の結果、ここでは、治療の施し様が無いほどの重症肺炎と判明!
直ちに国立療養所富士病院に転送され入院。検査後の説明で、
「重篤です、今晩が山です、親しい方にご連絡を...」と、死戦期である旨が伝えられたと妻は言っています。
詳しくは をお読みください。
4/29(土)に意識を取り戻すまでの1ヶ月間、実に様々なドラマが多方面で展開されていました。
重症肺炎、敗血症、MOF(多臓器不全)、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)、赤血球減少、血小板減少、高カリウム血症、他「ダメだ・・・!」と、思った7人の医師達...。
と同時に、「どうして生きて居られるんだ、この人は...」と驚きを隠せなかったそうです。
「患者は頑張っている...だから我々も頑張ろう!」という会話がカンファレンスの時にあったそうです...。
なんとも素晴らしい「7人の侍」ではありませんか...、現在は日本各地へ転勤され「医の原点」である「病める人の救済術?」の探求と実践に勤しんでおられる事でありましょう...。
貴方の街に、命の恩人の方々のページ内と同名のお医者さんが居られたら、「ミラクルマンを知っていますか?」とお尋ねになってみてください...そして、連絡をいただきたい...
退院(7/25)間際に7人の侍から
「今だから言える事ではありますが、貴方が助かったのは奇跡です!病院始まって以来初めての奇跡だ!と院長も言っています。恐らく世界にも例がないだろうと...でも、それ以上に生き続けていた事の方がもっと奇跡でした!与えられた命を有意義に使ってください、貴方にはそれができる...と我々は思っています...」と、7人の侍(医師)からの言葉がありました。
話は戻りますが、当時...
四肢の末梢神経障害(麻痺)、体のあちこちに出来た褥創は、命を取り留めた事からすれば大した事では無いというような S先生(主治医)の説明ではありました。
5/ 2(火)回診時、「いつの日から記憶がありますか?」と聞かれたので、「4/29(土)からですが・・・」「今日と比べてどうですか?」「はい、今日の方がしっかりしてますが・・・」「そうですか・・・」と、寂しそうな顔をした変な会話でした。(もちろん、記憶と回復具合の確認をしたのでしょう...
敗血症により赤血球が大量に破壊され、副産物であるビリルビンが頭蓋内を含め体内に大量に循環したので...)この時は、まだ満足に喋れない状態(自分の意思に反し別の言葉が出る時もあった)ではありましたので...
5/ 5(金)4人の看護婦さんと妻に支えられ、体重測定したところ「81kg」と判明、僅か1ヶ月ほどで25kg程減少・・・。「105kgは多過ぎるが、もし、標準体重の人だったら・・・もたなかっただろう・・・」と主治医に言われた。
------------中略-----------
7/25(火)大安、やっと退院の日が来ました。早々と会計を済ませ、娘(中1)の試合(東部大会)会場へ足を運んだのは言うまでもありません。あれよ、あれよと言う間に決勝戦を迎えましたが、延長3回相面を取られ惜しくも敗退、最年少記録の樹立はなりませんでした。(退院時の握力は、右20・左25sでした。)
7/28(金)紹介先の富士宮市立病院(S先生)へ、
今日も周囲から奇異な目で見られてしまった。クラッチ使用の「アヒル様歩行」では周りの関心?を買ってしまうのも無理ないか!すれ違う人は誰も避けないで真っ直ぐ進んでくる・・・。だから、こっちも譲らないで言ってやった。「ごめんなさいね、足が不自由なもんで・・・」と、そこまで言わなければ進路を譲ってくれないのも困った土地柄だ!早く杖なしで歩けるようにならなければ・・・地震の時に置いてかれちゃう・・・。
血圧:120/90、採血、胸部X線撮影他、投薬
7/31(木)富士宮市立病院にて再採血、
8/ 3(木)右第2・第3趾の背屈が僅かながらも、出来るようになりました。
8/ 8(火)右足関節の外返しと背屈が僅かながらも可能となりました。
8/28(月)富士宮市立病院にて(血圧:145/100、採血)、
9/25(月)富士宮市立病院にて(血圧:130/90)予約診療am11:45〜13:00(帰路に就く)
主治医いわく、「タバコは止めた方がいいですよ、禁煙パッチを試してみますか?禁煙マラソンの項目をクリックしてみてください。奈良の女医さんが主になってやっていますよ。」と、リハビリを兼ねてのインターネットの開始を強く勧められた。※次回から予約診療を(木)にしていただく。

10/ 8(土)AOLでインターネット開始。
10/ 9(日)体育の日です。握力測定をしました。右30(+10)・左40(+15)sでした。右第4趾の背屈も出来るようになりましたが、右足関節の背屈角度は0度まできていません。
左足関節および趾関節の背屈は、未だに不可能(反応なし)です。ティネルSは、下腿上1/3付近。
右第4・5指のシビレは残存、ティネルSは尺骨下端まできています。(拇指と5指の対立不能)
体重:93s、脚力は大部ついてきたと思いますが、蹲踞・正座は湯船の中でしか出来ません...、臀部は浮いたままです。
10/20(金)NIFTY入会
10/26(木)pm12:00〜採血、(血圧142/90)
11/20(月)pm12:00〜採血、(血圧140/80)
11/22(水)ISDN開通、後日判ったがここまでの通信費は4万円を超えていた!(^_^;)

11/30(木)朝、突然左第2趾が「僅かながらもピクン・・・」と動いたような気がしたのだが・・・いや、確かに動いている・・・1mmくらい!
12/ 3(日) ついにゴールデンレトリバーが我が家に来た!
玄関で妻が受け取ったが、抱いた瞬間「カ・ワ・イ〜イ」という今式の現代語になっていたのはどうしたことか?即座に「ラヴちゃんにしよう!」と、一番反対していた妻が命名してしまった!私は、当院に通っていた患者さんである遠藤利子さんにお礼を言う間もないほどの速攻であった。
遠藤さん曰く「かわいいよ〜、家のビッツと1才半違いだよ〜」と。
遠藤利子さん、遠藤博さん、デリバリーホウトク(有)さん、どうもありがとうございました。
この後、信じられないほどのスピードで回復していきました。
2001/ 1/ 2の初詣ではひとり歩きが出来るまでになったのです。 万歳!万歳!
この時、生後74日目の は、愛知県小牧市の田県神社と大県神社で、それはそれは「大人気!」でした。
「まあっ、そんな小さな体でリハビリ(先導)役してるの、エライわね〜・・・」と。
出店の方々や巫女さんから、諸々いただき元気良く「パクパク」と食べていました。
(その時の尻尾の振り方がすごかったので、次から次へと頂いてしまいました・・・)
↓で歩いているGIFは、「るんた」様から頂戴致しましたm(__)mソックリでしょう!
大県神社での出店の皆さま、その節はありがとうございました。
行き帰りの東名高速道路のサービスエリアでも、何でこんなに・・・というほどの「人気者!」でした。
途中のPAで「嬉ション・・・」を掛けてしまった娘さん、ごめんなさいね!

2001. 3.21(水)今日でラヴちゃん は、生後5ヶ月となりましたので初めての散歩をしましたが、私のおぼつかない歩行(土手1周に1時間余)のペースに疲れたのか、帰宅後はグッタリしていました。
2001. 3.下旬、いよいよADSLが開通した!

以降、第2部へ続く・・・
どうもありがとうございました。
次は、第2部 でございます
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