剣道を始めた平成5年より、冬になると何故か40度を超える高熱に悩まされていました。

平成10年2月12日、富士脳研病院で未破裂の右中大脳動脈瘤(9×11×14?)のクリッピング手術(クリップ2ケ)を受け、2週間で退院、以後2年間は熱発せず主治医の許可を得て、平成12年2月20日剣道四段に挑戦致しました。稽古が足りなかったにも拘らず幸いにも合格し、親しい仲間達とのささやかな祝宴後の「転寝」が悪かったのでしょうか?
突然の熱発によりG医院へ点滴に通うこと1ヶ月が過ぎたある日のことでした。
「なんか変だよ、終日熱が下がらないなんて・・・病院替えてみる?」という妻の言葉により、S医院へ転院した4日目に意識消失(此処でも胸部X線撮影はなく血液検査と点滴でしたが、この日の記憶は有りません)、

 5日目の土曜日、いつもどおりS医院へ向かいましたが、車から降りることが出来ない状態に陥ってしまい、S医院の紹介状を手に指定された救急病院へ向かいました。
まさか!そこに「悲劇」が待っていようとは想像もつかなかったと、妻は言っていました。
「肝炎」と診断した土曜日の救急病院の男性医師、検査後の説明で、
「胸の方は異常ありません、アンモニア値が高いので肝炎か
膠原病の一種でしょう、アルコールを飲むと治る事がある!」
と、「とんでもない事を言われた」と妻(元看護婦)は、しっかりと記憶(記録)している。
しかも、「血中酸素濃度82」の説明も無く、
「胸部レントゲンフイルムは見せてもくれなかった...」という。




入院後の土日の2日間、病状の推移の説明や医師の回診が一度も無かった...
入院3日目の月曜日になって初めて回診があり、主治医になったという女医?さんが
カルテも持たずにやってきて、ベッドの名札を見て「○○さんですね、どうなさいました?
という耳を疑う言葉を聞かされた事や、
女医を罵声する看護主任達の言動(看護婦が女医に治療や処置の指示を出している)
「これが噂の某中央病院か・・・いけない、このままでは殺される・・・」と、妻(元看護婦)の怯えた訴えにより搬出してくださった他の病院の医師が、某救急病院から渡されたたった1枚の胸部レントゲンフイルムを診るなり「奥さん、こりゃあ肺炎だよ!・・・」と、出来上がってきたCTを見ながら(・・・暫し無言)「こんなにひどいのは、ここでは治療できませんので国立(呼吸器科)へ転送します」と説明された事などが日記に記されています。

直ちに呼吸器科の呼吸器専門病院(国立療養所)へ転送され、
検査の結果「重症肺炎・敗血症・多臓器不全・播種性(血管内)血液凝固症候群...他」と診断され、「今晩が山です、親しい方へのご連絡を・・・」と、「死戦期」の宣告をされたわけですが、何故か死なない...!
あとからお聞きした事ですが、治療に携わって下さった7名の医師の方々は、
「こんな状態で、何故生き続けていられるんだ?この人は・・・」
と驚愕していたそうです。意識消失1ヶ月後の奇跡的生還から始まった壮絶な四肢麻痺との闘い、
整骨院を業としているだけに、「こ、こんな身体でどうしよう...・・・お母さん・・・
一体何があったんだ!」「・・・洗濯してくる・・・」と、妻は病室(ICU内TCU)を出て行くといった日々でした。

意識が戻ってからは、妻の気持ちも知らずに随分と辛くあたったりもしていました。
「殺されそうになったんだよ・・・」
「何故、あそこへ連れて行ったんだ?」
「S先生の紹介状が有ったし、そんなにひどい所とは思わなかった・・・、でも2日目になっても回診無いし、これで良かったのかな?と不安になっていた・・・」と聞かされ、さらに
「土日の2日間回診が一度も無かった事や、3日目に来た女医さんの手際(処置)の悪さを見て、
すぐに電話をしたのよ・・・」
と聞かされてからは「妻の気転が働かなければ死んでいた・・・今の自分に何が出来るのか?」とプラス指向し、「よし、リベンジだ!」とばかりに勇んでリハビリに取り組むも、思うように動かない自分の手と足に焦りを感じていました。

・・・ そして、一日の最後に温浴(自宅)リハビリ・・・

今年も、嫌な記念日(死んでおれば3回忌)である4/1が来てしまいました。
S医院からの紹介状を熟読?しなかった某救急病院での誤診及び怠慢に因る医療過誤との闘い、再転送された国立病院(ICU内TCU)での辛くて哀しくも、楽しかった4ヶ月の入院生活
(マイプランでリハビリが出来た!)など、何でも有り!のHPになってしまうかもしれませんが・・・(^^ゞ
すべては、某中央病院救急外来の誤診(肺炎の見落とし)から始まった悲劇!からの『奇跡の逆転劇』の実話です!退院間際にそれぞれの医師から「助かったのが奇跡(?)というよりも、あの状態で生き続けていた事の方が奇跡です。丈夫な身体に生んでくれたご両親に感謝し、与えられた命を有意義に使って過ごしてください・・・貴方ならそれが出来る!・・・」
という言葉を励みに毎日頑張っています。

意識の回復から7ヵ月後の11/30(木)am07:00頃、左足の第2趾が「ピクン・・・」と動いた!
のを待つかのように、その後は信じられないスピードで回復していきましたが、未だに足首に力が入らず平らなところしか歩けません・・・。この分では2004. 2月の剣道五段の昇段審査は無理かもしれません。

剣友たちは「これで合格したら、これこそミラクルだ!」と励ましてくださいますが、さて、どうなります事でしょうか?皆様からの温かいご声援、ご指導を糧に頑張って参りますので、諸々の書き込みを賜りたいと思います。m(_ _)m

子犬を戴いてからリハビリの成果が飛躍的に上がりました!遠藤利子様、遠藤 博様、及びデリバリーホウトク(有)様、ありがとうございました。
Icon ニックネーム
(2度も)還ってきたミラクルマン
Icon職  業
柔道整復師1983年〜接骨院開業
Icon役  職
(月)〜(土)院長、(日)宅内ネットワーク管理者 (^-^)v
Icon誕 生 日
1949. 7.12 A型 蟹座
Icon性  別
男性(今は中性かも)
Icon出 身 地
地元産(父方は長野県産、母方は福岡県産)
Icon住  所
Icon趣  味
なんでも収集家の少年時代...今も師匠の?中 (^^ゞ
Icon性  格
無口でシャイな少年時代...今は ??? (^^ゞ
Icon特  技 剣道五段(1993.05.15入門)、それ迄は野球・ソフトボールに明け暮れていました。脚が回復したら、「居合い」に挑戦します!
Icon家  族 妻(53才、鍼灸師・看護師)、息子(24才、剣道五段)、娘(20才、剣道四段)、ラヴちゃん(GL ♂ 2000.10.21生 7才)、
チビちゃん(柴雑♀17.9才 2007. 8.11没)

お気に入りのサイト

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このページは、一日も早く、このような初歩的な医療過誤を無くす為に、そして・・・安心してお医者さんにかかれるように、少しでも皆様のお役に立つ事が出来ればと思い、開設致しました。

「内科診断検査アクセス」をご覧くだされば、某里大学の某先生が医学生のために公開しているページが開かれます。よくよくお読みになってください。

肺炎」「敗血症」「MOF:多臓器不全」「DIC:播種性(血管内)血液凝固症候群」「MRSA」の、どれ一つとっても大変な病気である事がお分かり頂けるものと思います。

胸部レントゲンフイルムの読影・判読が出来ない医師は、救急外来にいてはならないのです。

4ヶ月に渡るICU内TCU生活の別れ際に、
「与えられた命を有意義に使ってください!」
と、7名の医師の方々から言われてからまもなく3年になりますが、日々無念さが込上げて参ります。

と同時に「黙っていては、いけない!」と決心し、HP上に公開しました。
2人の子供たちには、機会あるごとに「今、何をすべきか!」「何が出来るのか?」「そこで何が出来たのか!」と言って参りました。

今度は私の番のようです。昭和60年にも同じような事がありました。
狭心症」という事で、永らく病院通い(同じ某救急病院です)をしていた母が、別の病院で「末期の肺癌(手遅れ)」と診断されました。調べたところ、「4年余に渡って胸部レントゲン撮影は行なわれていなかった...」事が判明しましたが、争っても故人は帰ってこない...と諭され、苦汁の涙を呑んで諦めました。
当事者の医師の方は、これに懲りて、さぞかし立派な医師になられておられることでしょう。
皆様におかれましては、このページをお読みになって、少しでも「今後の医療」のお役に立てれば、
「奇跡の復活」に意義が出て参ります。

生きていて本当に良かった!と、お世話になった先生方、ありがとうございましたにご報告できるのはいつの事になるのでしょうか?
皆様からの温かいご声援、並びにご指導を賜りたいと思います。m(_ _)m
ご訪問ありがとうございました。

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