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このページは、何気なくメモしたことから始まりました。まさか「死戦期の宣告」を受けようとは考えも及ばず、現場から退き17年も経った元看護婦がつけていた日記です・・・。現職から見れば滑稽に見えるかもしれませんが、その点は割り引いてお読みください・・・
入院時(F市立中央病院救急外来から)の記録
12/ 4/ 1(土)朝から様子がおかしく(独り言、意味のない呼びかけ・熱発ほか)S医院へ5回目の点滴に出向くも意識混濁で車から降りれず。先生の勧めにより、 某病院の救急外来を受診する。CT・胸X-P・血液検査(肝機能・血中酸素・CRP・血中アンモニア)を行う。CTにて脳の異常なしも、肝機能 およびO
2
・CRP・NH
3
など異常あり。意識混濁(+)、失見当識(+)、KT38.3℃にて即入院となった。
09:25
急患受付(Nsの看護記録より抜粋)
12:10
、768号室へ入院(肝性昏睡?意識レベル低下、不明熱にて入院)
血ガス施行(pH:7.463、PCO
2
:40.9、PO
2
:56、O
2
:2gナザール開始)
...詳細は
別ページ
参照のこと。以上、Nsの看護記録より
12:50
頃、救急外来Dr.の説明あり。
「アルコール性肝炎?・膠原病?アルコールを飲ませると治る事もあるが、今のところ原因不明です。 休みのため、その他の検査できず。ただ、状態が急変する可能性もありうる・・・。」
との事。
おかしな事を言う先生です。
17:00頃、お姉さん見える。
22:00頃、点滴終了、その後の説明なし。
F市立中央病院、入院2日目
4/ 2(日)昨日の夕方から今日の明け方まで、独り言が続き、
呼吸がつらそうです。
薬にて眠剤入れるも、余り効果無い様子。明け方、 少し大人しく眠るも、
昨夜より呼吸つらそうです。
O
2
濃度(指にて測定)82~93にて酸素吸入マスク(11:30)となる。
(この時点で、ヤバイ!と判断出来ていれば良かったのですが・・・)
10:00 健治来院(室)。
11:30?酸素(9g)マスクへ交換する...(看護記録より抜粋)
14:15 EKGモニター装着。
16:00 髭剃りをしてもらう。(さっぱりしたネ)
45 健治帰宅。
17:00 頃、
「脳研病院へ行った方が良かったかしら?」と、お姉さんに言われ多いに不安になる。
状態が一進一退で、 どうしても悪い方へ考えてしまい、辛そうなお父さんを見ていると、これで良かったのか?と、悩んでしまいます。
明日からどのような検査になるのか?いくら日曜日といっても・・・、
結局Dr.は、この2日間1回も部屋(7F詰所横*)に来ませんでした。
(
これが・・・F市立中央病院の現実か・・・?
)
21:00過ぎ、独り言始まり、酸素マスクを頻繁に外してしまう。すぐ付けても、すぐ取ってしまう為何秒か経ってから、マスクをつける。 ・・・とても苦しそう・・・喘いでいる・・・。
夜間、瞳孔反射の確認となるも、深夜勤務の看護婦は様子を見に来るだけで何もせず・・・
F市立中央病院、入院3日目
4/ 3(月) 6:40、KT38.9℃
8:00 体、清拭する。
Ns主任のK藤(?)さんより、
「今後付添い人が必要、容体変化の時に、居てもらわないと困る」と言う。
初日から付き添っているが、おかしな呼吸(努力呼吸)しているのに、Dr.の診察も無く、説明も無い。原因不明と言われても、血液検査と胸X−P?・BTチェックのみでは、納得できないという気持ちあり。
何故か、次の段階(速やかな適切な処置)が欠けている。「これこれこういう状態ですので、こういう処置をします、しました。」という、
家族への説明もない
。検査データを判読出来るDr.が居ないのか?足りないのか?
それとも、その必要性を感じていないのか?
入院してから、Dr.は一度も顔を見せない。病態は、刻一刻と変化しているのに、診察もない。
いったい誰の指示によって、Nsは点滴を射っているのだろうか?この某病院のDr.は、患者の状態を診ないで、データだけを見て処置する方針になってしまったのか?
このままで良いのか?大変不安です!
これでは救急病院の価値が無い・・・
、
コンピューターで、主治医・病歴その他諸々が分かるのに・・・見ていないのか?・・・。
9:30 本日の点滴が始まった。お父さん、こちらの言う事に反応するが・・・。
10:00過ぎ、担当にI瀬Dr.が決まり、
入院してから初めての回診
となる。カルテを見てから来たのか?と疑いたくなるほど初歩的な質問をしてきた。
「どうしました〜#?イツからですか〜?・・・」と、ややアップテンポ。
なぜか胸騒ぎ、不安が襲う。
お姉さんに電話し脳研への転医(院)の意思を伝える。
看護婦が採血を試みるも出来ず、お父さん虚ろな目で、
「痛い、痛い、あんた誰っ?」
と、頻りに言う。Dr.に代わるも結果的に採血できず、
「血管確保という意味も込めて股関節 (鼠経部)の静脈切開をします。」と、Dr....。
「何を今さら・・・。」
という感じです。
10:15 切開開始。
10:45 切開終了。手際の悪さ最悪!!
脳研受け入れOK、その旨をDr.に伝えると、
「奥さんがそうしたいのなら、そうすればいいじゃない。」
と、 主任Nsの病室での声が廊下まで聞こえてきた。お父さんが日頃誉めているW辺S子総婦長は、この現実を知る由もない。
罵声されているDr.は、主治医の権威まるで無し。
10:40頃、(切開終了約5分前)脳研救急車が到着。4/1からの検査データ・胸X−P1枚
(大部分行方不明)
・ CTフィルム
(行方不明)
を受け取り、救急車より遅れること30分余り待たされてから脳研へ。
12:30
脳研病院到着
、お父さんは、3Fエックス線室で検査中...。
某中央病院から渡されたたった一枚(救急外来時)のフイルム
を診るなり、
吉川医師
いわく
「奥さん、こりゃあ〜肺炎だよ!...」
「
エ〜ッ!
そ、そんな・・・」
と、思わず絶句してしまった。
(中央病院の救急外来では「胸は異常ありません」と言ったのに・・・)
F市立中央病院のズサンさ、いい加減さにとても腹がたった。
まだ直っていない...!
あのままでは、
お父さんも手遅れになっていた
かも知れない。
やはり、昭和60年の義母の時に訴訟を起こすべきだった・・・狭心症で通院していたが、肺ガンだった(4年の余に渡って、胸部撮影は行われていなかった)発見したのは、元中央病院の医師だったのは皮肉な事だった。
昭和46年、1回目の椎間板ヘルニア(私)の手術時(執刀医はJ医大より派遣)には、開いただけだった事が、2年後他医院での2回目の手術時に判明(手術の痕跡がなかったと言われた)した。
1ヶ月もギプスベッドに寝かされていたのは、何の為だったのか...背屈・背臥位で寝かされていたが、辛い毎日であった。椎間板ヘルニアを悪化させる体位(姿勢)であったのだ。
その先生も平成16年7月に他界した。
レントゲン・EKG・その他の検査後、
「肺炎が余りにひどく、肝機能↓↓あり、呼吸器の専門病院へ転送します。」
と、Dr.の説明あり。
4/ 3(月)15:00頃、
国立療養所富士病院到着
。(脳研病院の救急車にて搬送)
検査後の
S呼吸器外科医長
の説明(私・健治・お姉さん・紳司さん同席)の前に、「どうしてここまで放って置いたのか?」 「某中央病院に入院してましたが・・・、脳研病院のご好意で此処に辿り着きました・・・」「中央病院って、どこの中央病院?」「F市です」「また、あそこか・・・」と、此処まで知れ渡っていることに、 より一層の不安を感じながら驚愕する事態(病態)を聞かされてしまいました。
「
重症肺炎
・肝機能障害・
敗血症
を起こしており、
大変な危篤状態です
。
腹水(+)・
栄養失調(+)
・黄疸(+)・
播種性血管内血液凝固症候群(DIC)・多臓器不全(MOF)
を起こしています。
一両日中がヤマでしょう
。全力を尽くして、やれる限りの事をしますが、患者さんの体力次第です、
覚悟を決めておいてください・・・
」と言われ、
体の震えが止まらなくなってしまった...
何故?どうして?
健治の涙が床に溜まる...
なぜ...なぜ、こうなるの...?
と、何回も何回も疑問が頭の中を駆け巡る...
19:00頃、S医長より
「親しい方・家族・親戚への連絡をしておいた方が良い・・・」
と言われ、さらに震えが...どうしよう...
真っ先に仲人(小林)宅へ連絡し、万が一の時の力添えをお願いした...
「死ぬなッ...死ぬな、ヨッ...」と柱を叩き続ける健治(17才)、とお姉さんを残し、自宅へ一時戻り各所へ連絡する。美友紀(12才)と義父(83才)に紳司さんより状態を説明してもらい、美友紀を病院へ連れてくる。
23:00頃、紳司さん・康宏さん・お姉さんが付くので帰って寝るように、と言われ甘える事にした。体がとても疲れ、気力がとてももたなくなってきていたので、 ありがたかった...
(本日の面会:乾さんの奥さんと3人の子供、井上さん、沼津、正樹ちゃん夫婦、小川さん)
国立療養所、ICU内TCU2日目
4/4(火) 6:30国療富士病院ICU内TCU2号室到着。
全身の浮腫(+)お父さん、外見上変化無し。午前中、各種検査(血液・EKGほか)にて、昨日と同じ状態。
「血液検査の結果、昨日より悪いため、改善する薬を入れました。」
と、Dr.の説明あり。夕方より少しづつ顔が黄色っぽい気がする。
一日中熱が下がらずKT39.3→39.5→39.7→39.3℃、筋注するも解熱せず。
口腔内吸引時、血液が混じっている。右目より血の混じった目脂が出る。 髭剃り、清拭を終え、すっきりしています。尿がよく出ています。点滴と同じ速さで、出ています。(吉工剣道部の父母の会代表がみえる。 山本・小泉・佐野)座薬挿入後発汗あり。Dr.より、
「状態に変化はないが快方に向かっているわけではない。」「尿量は全体的に出ているが、 時間量が少ないので利尿剤を入れる」
との事、説明あり。
20:00頃、美友紀の入学式だから帰るネ!と言うと
呼吸器が乱れた
。眠りが浅く、聞こえているのかも知れない...と、眠剤の量が増えた。
(今日も、紳司さんとお姉さんが泊まってくれました。今日は、正樹チャン達が面会に来ました・・・)
国立療養所、ICU内TCU3日目
4/5(水)今日は美友紀の入学式でした。
14:30交代する。2人とも疲れた様子です。美友紀と健治が千羽鶴を持ってきました。
(
死んだら承知しないぞ、と語りながら作ったそうです。
)
お父さんは、
昨日より黄疸が強く出ています
。お腹(腹水)は、少し減ったように見えます。
利尿剤持続注入・ノルアドレナリンの注入も始まっています。 心臓が弱っているのかしら?上半身を高くし、・・・自発呼吸見られない
。薬で抑えている?いや、呼吸は薬では止められないと思う。・・・? 夕方、Nsに聞いたら、
「圧力を上げ・・・器械で呼吸し、眠っています。その方が負担が軽くなり、チューブを入れているだけでも、 ストレスが掛かっているので、この方がお父さんは楽ですよ。・・・」
とのこと。点滴は、みな透明なのに、オシッコはいやに黄色い。 痰の吸引時は、血が混じっている。
足を動かしてやると、圧迫されていたところが、紫斑になっている。
20:30頃、
Dr.来室。
(呼吸のたびに上半身を動かすため、Nsに質問したところ・・・)キシロカインを吸入器にかけていた。一進一退でしょうか? と質問したところ、
「ウーン・・・そうだネ・・・昨日オシッコの出が悪くて、薬を使ったら改善されたけど・・・まァ・・・やれるだけの事はやりましょう。」
と、良い方にとっていいのか?否か?あやふやな言葉でした。
深夜、39.3℃、胸部に氷枕を当てる。
Nsの好意に甘え、3:30まで横になる。
国立療養所、ICU内TCU4日目
4/6(木) 4:00頃、下肢の浮腫が引いて、しわが出てきた。
6:00家に電話し、子供たちを起こす。
「ネブライザーをして、痰を出させる」
と、Nsが来た。尿はよく出ている。 KT38.3℃、BP144〜ちょっと高めです。腹部の脈拍が大きく、タオルの上からでもハッキリと確認出来るほどです。髭剃りをしました。 胸X-P撮影。婦長さんいわく、
「大分、落ち着いてきたねエ・・・」と
、俄かに今後の事が気になってきた。 まず、入院費・生活費・借金の返済・どうしたらよいのか?困った。
10:00頃、
Dr.ゾロゾロ回診
。ノルアドレナリン・ラシックス止まった。足の内出血の消毒。お父さん、見かけ上の変化無し。
点滴に「人血清アルブミン」・・・
追加??それとも、今まで気が付かなかっただけ?
何せ、あまりの点滴の多さにびっくりしています。
11:30清拭後のタオル・寝巻きの洗濯に行ってきます。昼過ぎ、紳司さんとお姉さんみえる。
Dr.より「明日、気管切開します!」との話あり。早くても、7月か8月頃までかかる、とのこと。目の前が真っ暗になる。これからどうしたらよいか?
を考えているとき、トミちゃんが来た。 相談に乗ってもらう。医事課へ行き、月にどの位かかるか?を聞き、明日市役所へ行く事にした。何故、何もかも私に押し付けて、お父さんは眠りつづけているのか? と、腹立たしさもこみ上げてくる。
16:30過ぎ、帰り道脳研病院により、
瀬川弘副院長
に経過報告する。
「この週末までがヤマかなぁ〜、それを過ぎれば何とかなる・・・」
と、言われた。
18:00頃、帰宅、美友紀は勉強中。学級委員になった、と報告あり。少し疲れている様子、腹痛あり、とトイレに駆け込む。健治も帰ってきた。 お父さんの事をとても心配している。
23:20 みんな寝る。
国立療養所、ICU内TCU5日目
4/7(金)7:00美友紀学校へ、
9:00健治登校、K先生のところへ交通事故患者の書類を渡す。市役所へ行って、高額医療の説明と保健センター内の福祉企画課へ行き、どうしたらよいか相談する。
12:00脳研の支払い(4/3分¥17,550)を済ます。
13:00TCU到着、昨日より落ち着いている様子。
13:30
気管切開始まる。
14:20髭剃り、エアーマット入れる。口腔内消毒。
Dr.より、話あり。
「多臓器不全は、なくなりました。腎不全も今のところ尿がたくさん出ているので、落ち着いているが、 今後観察が必要です。」
肝機能が依然として悪く、熱発の原因も不明との事。
「この1ヶ月以内で腎機能が低下しなければ一安心する事ができるが、治療は長い期間が必要となります。短期間に治るものではありません、 肺炎も信じられないほどの回復です。ただ、心臓が少し肥大していましたが、今は治まっています。・・・」
午後より、BP170前後で高めです。 KT38.3→39.2→38.3℃と、高いです。付き添いも徐々に無くしても良い様です。(紳司さんとお姉さん帰りました。)
国立療養所、ICU内TCU6日目
4/8(土)夜間泊まるも、特に変わった様子なく、廊下のソファーにて眠るがとても寒かった。午前中、清拭・タオル交換・髭剃り、吸引時とても辛そうです。 (K先生が書類を書いてきてくれました。後は判を押すだけとのこと。来週、保険請求をみてくれる、との事。助かります。)
18:30 これから帰ります。(私・美友紀・お姉さん)自宅にて、おじいさんに状況を話す。
国立療養所、ICU内TCU7日目
4/9(日)美友紀と二人でTCU到着。(隣の病室の人、亡くなっていた。)健治は部活です。心電図が、リズミカルに動いていない。尿量も以前より少ない感じがします。
るい痩激しい
。(吉工佐野さん・沼津の叔母さんと叔父さん・とっこチャン・福田先生*・小中さん*・紳司さん夫婦*・お姉さん・正樹ちゃん*達がみえました。)
18:30美友紀と二人で帰ります。帰るネ!と、言っても反応無し。自宅にて、何かとても疲れた感じ。健治が学校から書類(学費減免手続き)を、もらってきた。 (4/8)川上(区長)さんに電話し、民生委員の人に書いてもらうところあるので、明朝行く事にする。
国立療養所、ICU内TCU8日目
4/10(月)朝、民生委員の渡辺さん宅へ行くも、すぐには書けないので、調べてから連絡します、とのこと。書類を預けてきたが...。
9:20 到着。
10:30頃、回診。褥創あり、体位交換する。手足の清拭、
垢が少し出た
。BP98〜110と、少し低めです。尿の出方が悪く、 夕方よりラシックス入りの点滴が始まる。
両肩から上腕にかけて発疹あり
。
18:30体位交換後、帰宅する。(雨と霧で怖かった。)
国立療養所、ICU内TCU9日目
4/11(火)9:10 到着。清拭する。ラシックス入りの点滴をしている。
昨日より黄疸が強く出ている
。尿道口より、出血と膿状の物が出ていた。 回診後髭剃り。尿がたくさん出ている。熱発なし。
13:30 KT37.0℃、BP118/66も熱感はあり。
15:15 BP78/下降、
プラスマネート(加熱血漿タンパク追加
、BP82→98、KT37.6℃、
:45 BP110/58
18:30 お姉さんと一緒に帰ります。
国立療養所、ICU内TCU10日目
4/12(水)9:20 到着。清拭するも体位交換時BP↓する、とNsに言ったところ、BP測定79と低かったため
プラスマネート測管より注入開始、
その後BP118に上昇。水銀にて測定しなおす。KT37.4℃、体が干乾びていく感じ。ラシックスが入り、オシッコを出し、BP↓とバランスをとるのが難しそう。 昨日より発疹がさらに広がっている。手足を動かすと痛い顔をしている。午後、エコーにて肝臓を診る。「悪いものは写っていないが、心臓が悪いので、 以前から顔が浮腫んでいたのでは・・・」と言われたが、やせた顔は今まで見た事がないので・・・「現在のやせた顔が本来の姿です・・・」と、 言われてもピンとこないです。夕方、プラスマネート点滴す。器械のBP113、モニターは83とバラツキがある。痰もあまり出ない。ただ、尿はたくさん出ている。
国立療養所、ICU内TCU11日目
4/13(木)今朝は、ちょっと寝坊してしまった。美友紀さんに、怒られた。
9:50 到着。Ns清拭始めていた。
今日は、手足を石鹸で洗い、洗髪(濯ぎのいらない)もしてもらい、さっぱりしていますが、頭皮はあちらこちら赤くなっています。関節を動かすと、顔をしかめる。 意識があれば、怒鳴っているところでしょうネ!
点滴の中身が、とても多くなっている。これだけの薬を入れて、心臓の拍動と一緒に体もユサユサ動いています。
長い事体を動かさないでいるので、下になっている所がうっ血し、紫色になっています。回診後、EKG。(午後、お姉さん見える)BP↓もなし、
尿量↑、よくもこんなに出るものだ!
。人工呼吸器4回、あとの14〜15回は自発呼吸している。安定しているようだ。痰の吸引を嫌がり、 チューブを噛み、頭を動かして嫌がる。
鎖骨下より点滴
:50%GLU500mL、5%GLU500mL、アミノレバン500mL、10%NacL20mL、ガスター1A、ヒューマリンR30a、ネオラミンマルチ1、 マスパラK+10%NacL(EKG後に追加)、
鎖骨下側管より注入
:セデーション4/H、イノバン400mL 2A、ドブトレックス2、5%TZ20mL、5%GLU12mL、ドルミカム10A、レベタン6A、
鼠経部より点滴
:50%GLU500mL、アミノレバン500mL、ラシックス2、
鼠経部側管より注入
:生食×2、糖×1、プラスマネート20mL、
※メモしきれないほどの、薬の種類と量を使っている。
国立療養所、ICU内TCU12日目
4/14(金)出かけに稲葉さん(16班)が見え、話をしていたら遅くなってしまった。清拭と、片方だけ髭剃りが終わっていました。膀胱洗浄もしました。 (4/11から膿状の物が出ていた)回診中に修善寺の蔚さんが見える。見舞いを頂く。
鼠経部の切開の具合悪く、熱発の原因では、との事
。左足関節に差し換える。
貧血が強く出ているため、成分輸血4本(今日2本・明日2本)入れるそうです。
後が心配ですが、今の状態を乗り切らなければ・・・ と思い、判を押しました
。体の発疹が所々化膿している。
点滴パック(鎖骨下IVH)がアミノトリパ2号900mL(高カロリー輸液用アミノ酸300mL・糖・ 電解液600mL)になっている
。BP113→95/48、P89、
体(命) を維持するためにありとあらゆる手を使っている気がします。
呼吸は、自発呼吸17~18回、器械2回/分、昨日よりいいです。
18:00 貧血改善薬を入れた後、輸血開始(赤血球のみの成分輸血)、熱が出てきたのか?顔・頭・体が、とても熱いです。18:40気になるが、お姉さんと帰る。
国立療養所、ICU内TCU13日目
4/15(土)K先生が、保険請求のことで来てくれる日です。準備を済ませて病院へ来ると、回診の真最中にて廊下にて待つ。
尿の出が悪いので、 利尿剤(ラシックス)3アンプル入っています、とNsの説明あり。
そのためか、薄黄色の尿が出ている。BP112、P84。
10:00頃、
輸血開始(赤血球のみの成分輸血)悪い病気を貰わなければいいのですが・・・。
11:00頃、血糖値159(昨日129)ちょっと上がっている。
午後の体位交換時、いきなり行った所為か、痰が沢山出て、O
2
が97、しばらく続き、Nsが心配していました。
(
ここが中央病院と違うところ・・・
97でも心配している・・・)
18:15 オムツを買いながら帰ります。
国立療養所、ICU内TCU14日目
4/16(日)TCU到着。桜が満開でとてもきれいです。
(家を出る前、K先生見えるもコンピュータの電源入らず、多いに困りました。退院したら教えてネ)
10:10 回診終了。状態変わらず、雨と霧の一日でした。相変わらず手足を動かすと、顔をしかめる。
18:15 お姉さんと一緒に帰る。
21:30 K先生は17:30頃までいたそうです。夕食後、書類に目を通しお礼の電話を入れ、分からないところを聞く。
国立療養所、ICU内TCU15日目
4/17(月)美友紀は、今日から部活です。防具を届けてから来ました。
9:30 TCU到着。清拭、髭剃り終了していました。
「今日から眠剤が半分になっていますので、覚醒したとき手を動かして器具を退かさぬように注意してください。」
と、Nsに説明された。が、午前中はほとんど眠っていた。
13:10 予定より1時間遅れでDr.の説明あり。(お姉さんと一緒に聞く)
「心・肺・肝・腎・血小板と、ほとんど良くなってきました。熱の原因が不明なので、内科のDr.と相談しながら治療を行います。約50%ほど良くなってきているが、全身の筋肉が硬くなっている。呼吸筋の低下があり、 回復に最低2週間はかかります。これからが、周りの人たちに手がかかる次期となります。また、
相当のビリルビンが脳組織の中に入ったため、脳障害が出るかも・・・
、
覚醒してみないと何とも言えませんが・・・」
と、言われとても不安になっています。
体が元気になっても、頭がヨイヨイでは、これから先どうしたらよいのか?
頭を抱えてしまう...(ー_ー;)
口腔内消毒をしてもらうのをとても嫌がっています。(嚥下反応が過敏な人だから・・・)
18:40 帰り際、お父さん覚醒にて、ナカナカ帰れず、お姉さんと帰る。胃チューブを何度も抜いてしまうため、Dr.了解の上終了となる。
国立療養所、ICU内TCU16日目
4/18(火) 9:20 TCU到着。手足の清拭後、髭剃り。
手足のマッサージと運動を嫌がり、力をいれて抵抗する。
その他はダラーッとして、とても重い。体を動かすようになり、痰も多くなってきた。
「ここは、どこ?」
という様な意思表示をするようになってきた。お婆ちゃんが入院していた白糸の富士病院と言うと、
「うん、うん」
と、頷く。
右側臥位をなぜか嫌がる...
痔出血の話をNsにする。(熱の原因かも知れず、主人も気にしていた旨・・・)
今日は私も左膝がひどく痛む。
18:30お父さん眠っているので帰ります。
国立療養所、ICU内TCU17日目
4/19(水)保険請求の印を買いに行っていたら、遅くなってしまいました。
10:10 TCU到着。Nsの手が足りず、清拭はまだでした。
清拭し、髭剃りしたらもうお昼。眠剤1.5/Hと少なくなり、目が覚めている時間が多く、手足を使い体を動かすようになってきました。腕を自分のお腹の上に乗せるようになり、口の中の物も出すようになってきました。お尻の褥創は20×20位、皮がむけて出血あり、痛そうです。「痛い?苦しい?辛い?」と問うと笑う...
(バカ?か)
全部なのかもしれない...今日は、よく痰が出ます。
垢もよく出ました。
18:00頃、Dr.見える。
「眠剤を一度に無くすと、麻薬性が出るので徐々に減らします。人工呼吸器も自発呼吸が出ていますが、
今外すと死んでしまうのでもうしばらく続けます
。回復力のある人だから、そう長くはかからないでしょう・・・。」
と。
痰が多く、尿が出ず、側管からラシックスを注入した。
18:30 ひどく疲れました。お米買いながら帰ります。(22:00書類作成)
国立療養所、ICU内TCU18日目
4/20(木)9:00 TCU到着。隣の人、具合悪そうです。家族の人達が多勢見えて、Nsも忙しそうです。お父さん、眠剤1.0/Hとなり、
割とハッキリした目と口をしていますが、何を言いたいのか?ぜんぜん分からず、喉のところへ手を伸ばすためペンとノートを持たせるも、書こうとするが書けず咳き込む...
11:00 回診。半起座となり、「周りが見えるようになって良かったネ」と言うと、ニコッとした。
左手関節は、橈骨動脈への注入あるため強制背屈位にて固定されている...
が、起座にて楽になったのか?眠っている。午後:眠っては目を開け、何かをしようとしている。
咳とともにガスも出る。
18:15 帰る。
国立療養所、ICU内TCU19日目
4/21(金) 9:40 TCU到着。となりの人、いませんでした。(また一人亡くなりました。)
お父さんと同年代の女性の方、ご主人がよく看ていましたが・・・(合掌)。回診後、左手首の動脈内点滴終了、足の点滴も外され、鎖骨下の点滴1本にとなり、体位変換も自分で動かしてよいとの事。少しずつ進歩していく感じですが、
本人は言葉がわからず、イラツキ始めた
様です。午後Dr.より話あり。
「肝機能は正常ですが、HIV感染の時に検出されるウィルスが(+)になったので、詳しい検査をしたいと思っています。」
と。 1週間後に明確になると言っていたが、心配です。本人は、人工呼吸器を頻りに気にしています。
18:30 帰り際、体動激しく、しばらく様子を観ていた。同45 帰る。
国立療養所、ICU内TCU20日目
4/22(土)9:20 TCU到着。
お父さん、モリモリ動いてます。手足を使って大きく動けるようです。
ペンを持たせるも未だ書けず。ちょっと目を離した隙に、露わな格好をしています。「プッ・・・」
※眠剤が少しづつ減って(日中のみ)きて、体動激しく目が離せない日が続き、記録が執れないでいました。
国立療養所、ICU内TCU22日目
4/24(月)今日突然しゃべった!と思い気や
「アンタ・ダレ?」「サッキマデイタ、チョウセンジンノ、ヒトヨンデキテ」
には
「やっぱり、ダメか・・・?」と思いました。
また突然、鎖骨下IVHを抜いてしまい
「ニターッ」と、笑う
。急拠、右鼠経部にIVHを確保される始末。 夜間(21時過ぎ)は、眠剤を以前と同じように入れていました。(昼間の状態が落ち着くまで使用しますとのNsの説明でした。)体に点滴、カニューレ・導尿管・ 胃チューブ・など付けたまま、何度も起き上がり、
「歩く、アルク・・・」
と、ベッドから降りようとし、その都度説明して納得させる。 後から本人に聞くと、脳研の時と勘違いしていたと言う。(
一晩しか眠っていない感覚だった...と。
)
国立療養所、ICU内TCU27日目
4/29(土)10:00頃、突然
「オイ、此処はどこだ!」
の声。意識(記憶)回路が繋がったようです。「今日は何日だか分かる?」の質問に、 「瀬尾さんに4,5回点滴に行ったから・・・3/31か4/1かな?・・・」と、惚けているみたいでした。「某病院で殺されそうになったんだよ!覚えていないの?」
「何だ、それ?」
「4/1〜3まで入院していたんだけど、あまりにいい加減だし、鼠経部の血管確保に30分も掛かっているんだよ。 脳研経由で此処に来たんだけど、危なかったんだよ!某病院は、行方不明だとか言ってほとんど資料をくれなかったし、それでも脳研の先生はフイルムを診るなり
『こりゃー肺炎だよ!』
って大きな声で言うし、ここへ来た時は
『危篤です、親しい人へ連絡を・・・』
て、 言われるし大変だったんだよ!」
「フーン・・・」
と、関心の無いような、他人事のような返事しか返ってきませんでした。そして・・・ また突然
「オイ!何でこんなに点滴があるんだ?」
と、1本しかない点滴パック(アミノトリパ)がベッドの周りに何本もあるような 言い方をし、また
「アンタ・・ナゼ・・朝鮮語ミタイナ・・言葉ヲ・・シャベルノ・・?」
と、言い出す始末。 「エーッ!何ですって?頭・・ダメ・・ナノ・・?」と、面食らってしまいました。私がトイレから戻ってくるなり、
「サッキマデイタ、チョウセンジンノ、オンナノヒト、ヨンデキテ・・・オネガイ・・・」
と、手を合わせ懇願する始末。これには心底ガッカリしました。 心配になり、NsやDr.に尋ねたところ、物が二重三重に(点滴が5,6個に)見えるのも、聞こえる音(テープの早送りのような音)も、
薬の所為だと分かりホッとしました
。
ICU内TCUにて、リハビリの開始
5/ 5(金)初めて体重を量ったら81kg(
24kg減
)、以後1週間に1kgづつ増量しています。
5/20(土)漸く食事が出来るようになり、
大方の予想を遥かに裏切る(奇跡的)回復力で、頭の後遺症もなく、
現在は屋外リハビリをしていますが、
褥創の治りが悪く、いったい何日になったら退院できるのか?
業務再開は、いつ頃か?生活は成り立つのか? 不安は尽きません。お尻の褥創と四肢の末梢神経麻痺が残ってしまい、只今リハビリの最中ですが
麻痺の存在を理解してもらうまでに 1週間ほどかかったこと、あろう事かリハビリ担当者が「腓骨・尺骨・正中神経麻痺」を知らなかった事
、併せて、知ろうとしなかった(勉強していない)事からくる
「歩く時は踵から足を下ろすように」
との言葉に、かなり気が立っていました。(
主治医からは、「貴方の方が専門だから、 イツ止めてもいいですよ・・・」と、言われていた
が。)
5/27(土)初めての外泊でした。床屋さんに寄ってから帰宅したのが
11:30頃、昼食後おじいさんと話をしながら
16:00頃までテレビを見て、
18:00頃まで台所の椅子に座りながら私や娘・息子と時間を惜しむかのように夢中で談話していました。
19:00頃、急に「気持ちが悪い・・・」と言い出し嘔吐、
汗びっしょりかきながら震えていたか、と思いきや、いきなり白目を剥いて椅子から転落・・・、国療富士病院や119へ電話。脈が弱く血圧が測れないために慌ててしまった
が、(救急救命士も同様に測れないと慌てていた。)やっとの事で、BPの上が70と測定されたが、
10分以上もスタートしない救急車!これもこの市の問題だ!
(市外の病院へ行く場合)
尿失禁は無かったが、瞳孔反射は、右は正常であったが、左は開きっぱなしだったのも要因だろう
。
病院に戻り、小室先生の「貧血を起こしたんでしょう・・・電解質を補液しておきましょう・・・」の言葉にやれやれ、
「もう・・・知らないから・・・こんな人・・・」
デ・シ・タ。
屋外歩行訓練の開始
6月に入りました。
次第に脚力がつき、連続して100mぐらい歩けるようになりました。リハビリ担当のマッサージ師さんが、駄洒落を言う度にお父さんが不機嫌になります。喧嘩をしなければいいのですが、心配です。マッサージ師さんは、ウケを取ろうとしているのでしょうか?盛んにシャレをとばします...
(お父さんは、四肢麻痺ノ・・・勉強シテ・・・コイヨ・・・と、独り言を言ってます)
が、ついにお父さんがキレてしまいました。突然大きな声で、
「ありがとうございました、
今までご苦労様でしたァ!
」
と歩行器を握る手に力が入っていました。「手首がグニャグニャだから...」と言っていましたが、よく喧嘩にならなかったと、この時は感心しました。ナースステーションから飛び出してきたNsの報告でDr.が、みえた時の開口一番が
「喧嘩したって?殴った?殴っちゃえば良かったのに・・・」
には、私もびっくり。事情があるようです。
「貴方の方が、専門家だからご自分のプログラムでやってください。」
と、前から言われていたのでDr.の許可を戴き、家から低周波治療器etcをTCUに持ち込みました。鉄亜鈴も持ってきました。
ユニオン医科工業(株)
さんから、末梢神経を治療する器械も届き、やる気が出てきたようです。
屋外歩行訓練時に、杖を竹刀代わりに素振りをしたりしますが、すぐに「疲れたッ」とやめてしまいます。右肩が痛くて挙がらないと、得意?な言い訳をしています。
雷が怖い...
7月に入りました。
最近、風雨や雷雨が激しく、窓のサッシやガラスにカビが生えてきているのが、気になります
。午後の屋外リハビリ中はカミナリが気になるあまりに、また時々雲を見ながら歩いてしまう為に、自然と速くなってしまいます。
「オイ、俺を置いていくなッ!」
と、しばしばお父さんに叱られました。
流石のお父さんも2年前に
クリップが入ってからは、雷が恐いようです・・・。
TCUはエアコンが何年も故障したままだそうです、暑がりの主人が、
「カビの生えているエアコンを設置しているようでは、助かる人も死んじまうぞ・・・」
と言ったところ、Nsや婦長そして用務員のアドバイスもあり、お上に「投書」したところ、僅か1週間で新しいエアコンが入った事、 トイレの便座もヒーター付きになった事など愉快な事もありましたが、ゴキブリ取りや蚊取りマットをセットしなければならなかった(感染症対策)事、褥創や四肢麻痺の改善が思わしくない事など、意識回復(4/29)後の月日も、心配事の連続です。
7/12(水)今日は、お父さんの51回目の誕生日です。
褥創と四肢の麻痺が無ければ、いつでも退院できるまでに回復してきました。
7/22~23土日の2日間は自宅リハビリでした。電動ルームランナーを使おうとしましたが足首の背屈が出来ませんので、移動しているベルトを暫し眺め、 溜息をつきながらも挑戦していましたが、結局諦めていました。
健治
は、玉竜旗剣道大会(福岡)へ行きました。
7/24(月)明日は、退院です。やっとICU内TCUから出れる日が来ました。長いようで短かった4ヶ月・・・、
いいえ長かった4ヶ月です。
ついに屋外リハビリでは、病院の敷地内歩行を1周以上やろうとしませんでした。
腓骨神経麻痺様な内反尖足位で小歩な為、また右手拇指小指の対立ができず握力が十分に回復していない為、杖を持つ手が不安定でスピードが出ません
。建物を1週するのに30分程かかってしまう為疲れるのか?雷が恐いからか?私にはわかりません
紹介先の病院
で「入院」と、言われたらどうしようか? 仕事が出来る様になるのはいつ頃か?など、まだまだ不安は尽きません。
(明日は
美友紀の中体連(剣道)
の応援に、間に合えば良いのですが・・・)
最近こんな夢を、ときどき見ます。
小児(孫)が遊んでいるのを、一緒に眺めているのですが、
後ろを振り返ると、誰も居ないのです... 変な夢です...
お父さんには、話せません...
この日記は、今日持って帰ります。
明日は、忙しいだろうな...
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